【イントロダクション】AI教育の第一人者に聞く、2025年の研修トレンド
編集部:
2023年以降、生成AIの法人利用が急速に広がりました。しかし、DX推進担当者や人事責任者の方々からは、「アカウントは一通り付与したものの、現場での利用がメールの要約や簡単な翻訳程度に留まっている」という切実な悩みが聞こえてきます。
IPA(情報処理推進機構)が発行する『DX白書2023』の調査データなどを見ても、ITツールの導入率と、それを実際のビジネス変革に繋げられている企業の割合には明確なギャップがあることが示されています。本日は、医療AI開発の第一線で活躍され、現在は幅広い業界のAIコンサルティングもリードしているITソリューションエンジニアの杉本健二氏に、対話型AI活用研修の現状と、本当に意味のある教育設計についてお話を伺います。杉本さん、よろしくお願いいたします。
杉本:
よろしくお願いいたします。ご指摘の「アカウントを配っただけで終わってしまう」という現象は、AIコンサルティングの相談を受ける中で最もよく直面する課題の一つです。この停滞期を突破するためには、これまでのITツール導入で行ってきたような研修のアプローチを、根本から見直す時期に来ていると感じています。
対話型AI研修を取り巻く現状の変化
編集部:
これまでのアプローチを見直すとは、具体的にどのようなことでしょうか?
杉本:
初期のAI導入フェーズにおいては、情報漏洩を防ぐための「セキュリティガイドラインの周知」や、ツールの基本的な使い方を教える「操作マニュアル型の研修」が主流でした。これは、新しい基幹システムや会計ソフトを導入する際の定石アプローチです。しかし、2025年を見据えた現在のフェーズでは、この手法だけでは現場の活用を促進するには不十分になっています。
対話型AI、特に大規模言語モデル(LLM)は、特定の業務を効率化するための単一機能ツールではありません。入力されたコンテキスト(文脈)に基づいて、確率的に関連性の高いテキストを生成する汎用的なシステムです。それにもかかわらず、多くの研修が「画面のどこをクリックするか」「どうやってログインするか」といったHow(手段)に終始してしまっているケースが珍しくありません。
結果として、ビジネスの現場では、自律的にAIを活用して業務プロセス自体を再構築できる層と、言われた通りにしか使えない層との間で、活用度の二極化が生じています。
なぜ今、単なる「操作説明」では成果が出ないのか
編集部:
「操作説明」だけでは、なぜ現場の活用が進まないのでしょうか?
杉本:
これは、医療現場への新しいITシステム導入などでもよく見られる現象と似ています。例えば、どれほど高度なデータ分析ツールを導入しても、担当者が「どのような仮説を持ってそのデータに向き合うか」という前提となる論理的思考を持っていなければ、出力された数値を正しく評価し、臨床や経営の戦略に活かすことはできません。
対話型AIの現場でも全く同じ構造が起きています。現在の言語モデルから質の高い回答を引き出すためには、人間側が「自分たちの業務の本質的な課題は何か」「何を解決したいのか」を明確に言語化できている必要があります。
操作説明の研修は、「プロンプトの入力枠はここです」という案内はできても、「あなたの業務において何を問うべきか」という課題設定能力までは教えてくれません。ここが、単なる操作説明ではビジネスの成果に直結しにくい最大の理由だと捉えています。
Q1: 多くの企業が陥る「プロンプト研修」の罠とは?
編集部:
「何を問うべきか」を教えるために、現在では多くの企業が「プロンプトエンジニアリングの研修」を実施し、社内で「コピペで使えるプロンプト集」を配布しています。これについてはどう評価されますか?
杉本:
「コピペで使えるプロンプト集」に依存する研修設計は、組織の思考停止を招くリスクを孕んでいると考えています。もちろん、初期の心理的ハードルを下げるための「補助輪」としての価値は否定しません。最初の小さな成功体験を得るためには有効な手段です。しかし、それを研修の最終的なゴールに設定してしまうと、早晩限界に直面することになります。
「コピペで使えるプロンプト集」が自律を妨げる理由
編集部:
便利に見えるプロンプト集が、なぜ思考停止を招いてしまうのでしょうか?
杉本:
理由は大きく2つあります。1つ目は、「コンテキスト(文脈)の欠落」です。
業務の課題は、部署、プロジェクト、さらにはその日の状況によって千差万別です。定型化されたプロンプトの穴埋めをするだけの作業では、複雑な背景や微妙なニュアンスをAIに伝えることができません。
例えば、「〇〇についての企画書を書いて」という典型的な短いプロンプトを入力したとします。AIからは当たり障りのない一般論しか返ってきません。本来であれば、「誰に向けて」「どのような課題を解決するために」「どの程度の粒度で」企画書を作るのか、背景情報を整理する必要があります。プロンプト集に頼りすぎると、この「言語化する作業」を怠るようになり、薄っぺらい回答を見て「やっぱりAIは使えない」という誤った評価を下してしまうケースが後を絶ちません。
2つ目は、「対話の放棄」です。
対話型AIの真価は、一問一答ではなく、ラリーを重ねることで思考を深めていくプロセスにあります。プロンプト集を使うと、「一回の入力で完璧な答えを出さなければならない」という思い込みが生まれ、AIとの試行錯誤が行われなくなってしまいます。これは、AIを「便利な辞書」としてしか扱っていない状態です。
スキル(How)を教える前に欠落している「Why」の視点
編集部:
手段に縛られて、本来の目的が見失われているのですね。
杉本:
効率性と実用性を重視した論理的思考の観点から言えば、ビジネスにおいて最も根本的な問いは「なぜその業務を行っているのか(Why)」です。例えば、「議事録の要約プロンプト」を教える前に、「そもそもこの会議の目的は何か」「誰に何を伝えるための議事録なのか」を問い直す必要があります。
AI研修において本当に求められているのは、プロンプトという「呪文」を暗記させることではなく、業務プロセスそのものを再定義し、AIを前提とした新しいワークフローを構想できる能力を育てることです。How(手段)を教える前に、Why(目的)を徹底的に考えさせる教育設計が必要不可欠です。
Q2: 比較検討時に重視すべき「思考OSの入れ替え」という評価軸
編集部:
既存のプロンプト研修の限界がよくわかりました。では、企業が新たに「対話型AI活用研修」を比較検討する際、どのような基準で選定すべきでしょうか?
杉本:
最も重視すべき評価軸の一つは、その研修が「社員の思考OSの入れ替え」を意図して設計されているかどうかです。ここで言う思考OSとは、単なるツールの使い方ではなく、「業務の前提を疑い、言語化し、AIというシステムと対話しながら要件を詰めていく一連の認知プロセス」を指します。物事の捉え方や問題解決のアプローチそのものをアップデートする内容である必要があります。
導入判断に使える具体的な評価フレームと質問リスト
編集部:
「思考OSの入れ替え」という言葉は非常に本質的ですが、研修を選定する企業側としては、少し抽象的で評価しづらい部分もあるかと思います。導入判断に使える具体的な評価フレームや、研修会社にぶつけるべき質問リストのようなものはありますか?
杉本:
おっしゃる通りですね。抽象的なままでは比較検討できません。私は、以下の3つの観点から研修のカリキュラムを評価することをおすすめしています。
課題の解像度を上げる言語化能力の訓練があるか
漠然とした悩みを、論理的な構造(背景、制約条件、期待する出力形式)に分解して言語化するプロセスが含まれているかを確認します。クリティカルシンキング(批判的思考)の訓練があるか
AIの出力を鵜呑みにせず、論理的な整合性や事実関係を検証する能力をどう養うかという視点です。アジャイル的な試行錯誤の体験があるか
一度のプロンプトで正解を求めず、AIからの回答に対して追加の指示を出し、徐々に正解に近づけていくプロセス体験です。
研修会社との打ち合わせでは、ぜひこう質問してみてください。
「御社のカリキュラムでは、AIが期待外れの回答を出した際、受講者にどのようなリカバリーの手順を教えますか?」
ここで「別のプロンプトテンプレートを渡します」と答えるか、「AIに足りなかった前提条件を分析させ、対話で修正するワークを行います」と答えるかで、その研修が単なるツールの使い方を教えているのか、それとも思考プロセスを教えているのかが明確にわかります。
非IT部門の社員がAIを「自分事」化するための心理的アプローチ
編集部:
ITリテラシーの高いエンジニアならともかく、営業や総務、あるいは医療現場のスタッフなどの非IT部門の社員にそれを求めるのはハードルが高くありませんか?
杉本:
そこが導入推進における最大の障壁になります。非IT部門の多くは「間違った使い方をしてトラブルになったらどうしよう」「自分の仕事がAIに奪われるのではないか」という不安を抱えています。したがって、研修選定のもう一つの重要な基準は「心理的安全性を確保したアプローチ」が組み込まれているかです。
優れた研修は、技術的な解説から入るのではなく、マインドセットの変革から入ります。例えば、「AIの出力は完璧ではない」という前提を共有し、失敗を許容するサンドボックス(砂場)のような環境を用意します。そして、彼ら自身の日常業務(例えば、顧客へのメールの構成案作成や、複雑な表計算ソフトの関数作成など)を題材にして、「自分の仕事がこんなに楽になるのか」という成功体験を早期に味わわせます。心理的障壁を「好奇心」に変換する設計があるかどうかが、AIリテラシーの定着を左右します。
Q3: 成功する研修と失敗する研修を分ける「伴走設計」の差
編集部:
研修の内容自体が素晴らしくても、「研修を受けた日は盛り上がったが、翌週には誰も使っていない」というケースをよく耳にします。
杉本:
まさにそこが、研修の投資対効果を決定づける分水嶺です。AI研修を比較する際、カリキュラムの内容以上に目を向けるべきなのが、研修後の「伴走設計」の有無です。一過性のイベントとしての研修は、現場の業務に追われる中で徐々に忘れ去られてしまいます。
研修当日の満足度よりも重要な「翌日からの実践率」
編集部:
伴走設計とは、具体的にどのような仕組みを指すのでしょうか?
杉本:
研修は「知る・わかる」のフェーズであり、そこから「できる・習慣化する」のフェーズへ移行するための仕組みです。一般的なシステム導入の現場でも効果的とされるアプローチとして、研修終了後に「1週間に1回、AIを使って解決した業務課題を報告する」といった小さなマイクロタスクを設定し、実践を促す方法があります。
また、現場のマネージャー層を巻き込むことも不可欠です。マネージャー自身がAIの価値を理解し、部下に対して「この調査、AIを使ってどうアプローチした?」と日常的に問いかける環境を作らなければ、現場は旧態依然としたやり方に戻ってしまいます。研修会社を選ぶ際は、「当日の講義」だけでなく、「導入・定着・発展」というフェーズごとのサポート体制を持っているかを確認することが一つの目安になります。
コミュニティ形成や継続的なフィードバックの重要性
編集部:
組織内でAI活用を定着させるための良い仕掛けはありますか?
杉本:
社内コミュニティの形成が非常に効果的です。例えば、社内のチャットツール上に「AI活用ナレッジ共有チャンネル」を作成し、現場の成功事例だけでなく、失敗事例(こんなプロンプトを入れたら意図しない答えが返ってきた、など)も共有できる場を作ります。
ここで重要なのは、専門家や社内の推進担当者が定期的にフィードバックを行うことです。「その課題なら、こういう視点を足すとさらに良くなりますよ」といったアドバイスを継続的に行うことで、組織全体のプロンプティング能力が底上げされます。生成AIの技術進化は非常に速いため、一度学んで終わりではなく、常に新しい知見を組織内で循環させる仕組みを構築することが、成功する研修の条件です。
Q4: 今後の展望:AI研修は「教育」から「組織開発」へ
編集部:
ここまでのお話を伺うと、AI研修は単なるスキルトレーニングの枠を超えているように感じます。
杉本:
その視点は非常に的確です。これからのAI研修は「教育」という枠組みから「組織開発」という戦略的投資へとパラダイムシフトしていくと考えます。最終的なゴールは、個々の社員の業務効率化(作業時間の短縮)ではなく、組織全体の「知能」と「意思決定の質」を高めることにあります。
AIを使いこなす組織が手に入れる「意思決定の高速化」
編集部:
組織全体の知能が高まると、企業にどのような変化が起きるのでしょうか?
杉本:
最も顕著な変化は「意思決定の高速化と高度化」です。例えば、新規事業のアイデア出しや競合分析を行う際、従来は担当者が1週間かけて情報を集め、会議で揉んでいました。しかし、社員全員がAIを「優秀な壁打ち相手」として使いこなせる組織では、各個人がAIと高度な対話を行い、すでに多角的な視点で検証された質の高い企画の種を持ち寄ることができます。
会議の場では、単なる情報の共有ではなく「どのリスクを取るか」「自社ならではの価値はどこか」という高度な議論に時間を割くことができるようになります。AIが組織の「思考のベースライン」を底上げし、人間はより創造的で戦略的な判断に専念できるようになるのです。
リーダー層が知っておくべきAI時代のマネジメント
編集部:
そのような組織を作るために、経営層やマネジメント層には何が求められますか?
杉本:
リーダー層に求められるのは、AIを「コスト削減のツール」としてではなく「組織の能力を拡張するパートナー」として位置づけるビジョンです。そして、AI活用によって浮いた時間を、さらなる作業の詰め込みに使うのではなく、人間同士の対話や創造的な探求に再投資する決断が必要です。
また、リーダー自身が率先してAIを活用し、自らの思考プロセスをアップデートする姿勢を見せることが最大のメッセージになります。対話型AI活用研修は、現場の社員だけでなく、実は組織の文化やマネジメントのあり方そのものを問い直す、絶好の機会なのです。
【編集後記】研修の選定は、理想の組織像を描くことから始まる
今回の杉本氏へのインタビューを通じて、対話型AI活用研修に対する見方が大きく変わった方も多いのではないでしょうか。
巷に溢れる「プロンプト集の配布」や「ツールの操作説明」に終始する研修は、一時的な満足感を与えても、本質的な課題解決能力の向上には繋がりにくいことがわかりました。AI導入の目的が「メールの要約」ではなく「組織全体の生産性と意思決定の質の向上」であるならば、研修の選定基準もそれに合わせてアップデートする必要があります。
検討段階の読者が今すぐ見直すべきチェックリスト
- 研修の目的が、How(操作)の習得ではなく、Why(課題設定)の言語化に置かれているか
- 「期待外れの回答が出た際のリカバリー手順」など、思考プロセスの変革が含まれているか
- 非IT部門の心理的ハードルを下げ、失敗を許容する環境設計があるか
- 研修翌日からの実践を促し、組織内にナレッジを蓄積する「伴走設計」があるか
ツールありきではなく、課題ありき。そして「自社がAIと共存する未来において、どのような組織文化を築きたいのか」という理想像を描くことが、最適な研修パートナーを選ぶ第一歩となります。
生成AIの技術進化や活用トレンドは日進月歩であり、今日最適なアプローチが半年後には陳腐化している可能性もあります。最新動向を継続的にキャッチアップし、自社に最適なAI導入戦略を構築するためには、メールマガジンやニュースレターでの定期的な情報収集も有効な手段です。個人のスキルアップにとどまらず、組織全体のAIリテラシーを戦略的に高めていくための仕組みづくりを、ぜひ今日から進めてみてください。
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